お久しぶりです。
前回の更新がもう半年以上前と、ずいぶん時間がたってしまいまして。
自分のだらしなさを憂うところで。はい。
まあ、憂うだけで何か対策をしようとか、筆まめな人間になろうとは思ってはいないんだけどね。
そりゃそうだ、三つ子の魂百までとさえいうのに、こちとら魔法使い3年生である。
使い込んできた杖の年季が違うのだ。
今更ねじくれた、ひ弱な何かを戻そうとしたところで、ぽっきり折れておしまいである。
はい、ハナから脱線失礼。
「イヴの時間」のオリジナル版視聴が終わりましたな。
あまり今回は前座の文章が思いつかないから、早速で申し訳ないが、本文に移ろうと思う。
まずは免責から。
© 吉浦康裕/スタジオ六花/イヴの時間製作委員会

トレーラー
https://youtu.be/ox-ocfCnC4A
【作品の概要と、独自の面白さ】
概要か……トレーラーの動画が概要なんだよなぁ。あらすじは概要じゃなくてあらすじだし。
とりあえず書くだけ書いてみようか。
・概要
設定は近未来SFで、2008年の作品だからガラケーを使ってたりになってたりする。
ググったらiPhone 3Gや3GSの発売時期とかぶってるらしいし、まさか文字を打ち込む部分で画面の3割が潰れる機体が未来では席巻しているとは思いもしなかっただろうな。
スマホの出現の他にはウォークマンとiPodがしのぎを削っていたり、PSPとDSが携帯型ゲーム機として2大巨頭として君臨している時代だったわけだ。
そんな時代に、統合型デバイスとしてのアンドロイドに、人々はどんな夢を見たのか?
ストーリーの冒頭には、こんな言葉が提示される。
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未来、たぶん日本。
ロボットが実用化されて久しく、
人間型ロボット(アンドロイド)が実用化されて間もない時代。
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とある不思議な喫茶店で物語は繰り広げられる。
異質な、しかし自分たちと見た目の変わらない存在と交流することを目的にするその喫茶店では、普段の常識が…………………………いや違うな。
デカい家電のような機械と、社会的動物である人間が…………………………なんじゃそら、わけわからん。
えーとですね、概要書けません。わかりません。
というわけで、あらすじを詳しく知りたい人は適当なWikiでも漁ってほしい。
本編では、そんな言葉が提示された後、メインキャラクターの二人が画面に登場する。
主人公が家電たるサミィちゃんの行動ログデータ取ってたら、見られたらやべぇもん出てきちゃってパニクったサミィちゃん。
主人公リクオは違和感を覚えて、そのログが記録された地点へ向かう。
そうして大量消費が普通になった社会で、道具と人が、これからどうやって接していけばいいんだろうね。
っていう疑問が提示されるのが概要です。
個人的な創作物の遍歴としては、もし本棚があったとしたなら「妖怪大戦争」と「Vivy -Fluorite Eye's Song-」の2作の間にこれを置きたい感じかな。
端的には、以下の3つの提唱された「原則」っていうのを軽く頭に入れてアニメを見ると、ちょっと解像度上がるかも
「新ロボット3原則」は2025年だから「イヴの時間」以降の宣言だし、影響を与える・受けるの矢印も本作内ではどっちに向いてるかわからんけど。
あとAIBOの発売は1999年以降で、もっとも制作年に近い。個人的には「イヴの時間」に対してしっくりくるのは、このAIBOに課せられた原則のように思う。
アイザック・アシモフが提唱した、ロボット3原則
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第一条
ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条
ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条
ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
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ソニーエンターテイメントロボット「AIBO」に課せられた原則
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第一条:AIBOは人間に危害を加えてはならない。
自分に危害を加えようとする人間からも逃げることは
許されるが、反撃してはいけない。
第二条:AIBOは原則として人間に対して注意と愛情を向けるが、
ときに反抗的な態度をとることも許される。
第三条:AIBOは原則として人間の愚痴を辛抱強く聞くが、
時には憎まれ口を利くことも許される。
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Robot Friendly Project 新ロボット3原則
https://robot-friendly.com/new3laws/
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第1の約束:相互尊重
ヒトとロボットは、互いの存在を尊重し、敬意をもって接する
第2の約束:社会の一員
ヒトとロボットは互いに、社会のネットワークの一員として振る舞う
第3の約束:共進化
ヒトとロボットは共に学び、成長し、よりよい社会の実現に貢献する
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・独自の面白さ
なんだろうねぇ……、僕は物語に対しては「教訓性」みたいなものを前提としての要求をしてはならないと常に考えてるのよ。
「NARUTO」とか「ONE PIECE」とか「ドラゴンボール」とかで共通するものを抜き出したら「気に入らない奴はぶっとばせ」とか「巻き込まれて死んだほうが悪い」とか「勉強なんかしてないで体育だけやってろ」みたいなことも言えちゃうわけだからさ。
だから、あえてそういう視点を抜きに書くとするなら、こうかな。
6話構成と短いながらに、心理描写に密度がある。
とくに、振り返って思いなおしたり、再度視聴をすることで見えてくるものが多くて楽しい。
なぜ喫茶店なのか?
店内のレイアウトはどうしてこの構造になった?
あの壁の意味は?
どうしてこのキャラはこの服装なのか?
どうしてあの時、あのキャラは喫茶店のここに配置された?
あのキャラの発言は、どこに抑揚を置くことで意図を表していた?
主要キャラの一挙手一投足、画面、BGM、デザイン。
全てに意味がある。
映像文化論、コマ遊びの好きな漫画作品、日本語学、余白の有無で何を主張するか。
そんなことをいちいち考える人間にとってはごちそうの山である。
だからというかなんというか、万人に「これいいよ」とは軽はずみには言えない作品でもある。
1回観て「あー面白かった」ではあまりにももったいないから。
デバイスの氾濫する時代に、自分に最も近い存在すらも大量消費するようになった人間たちに対して「使われる側」の立場にあるモノは何をアイデンティティとしていけばいいのか?
そんな課題を出されているような気がしてくる。自分は人間なのにね。
エンタメとしても、視聴後に得る価値観としても、深みのある物語を中編・短編SFででやり切ったということは間違いなく独自の面白さだろうね。
【物語性からの評価】
さて、物語性からの評価という項目だが、この物語がリリースされた時(2008年8月1日初回放送)は、こんな時代だった。
・PSPやDSなど、携帯型ゲーム機の発展と一般化。
・ガラケー全盛~衰退期、iPhone 3Gと3GSの発売。
・「涼宮ハルヒ」「けいおん」「とらドラ!」「化物語」「CLANNAD」etc の放送時期
サブカルイケイケドンドン……って、この表現古いですかね。ともあれ、そう言ってはばかる必要のない時期だったわけだ。
モコカフェ前のミスドでハルヒダンスを踊り、鼻鉛筆っていいなで爆笑しながら、CMの通り地元でのモンハンはガストで集まってドリンクバー人数分と、マヨコーンピザを1枚注文するものと相場が決まっていた。
文明の過渡期であり、あの空気感の中にあったからこそ、より意味のある作品となったのが「イヴの時間」だったのだろう。
直前にも箇条書きしたが、携帯型デバイスの黄金期と言って差しつかえのない時代だった。
旧機器と新機器の性能差や、最新の技術や発展に目を奪われ、いわゆる「老害」的な知識を十把一絡げに軽視する風潮が強まったのもこの時期だった。
自分もそれに加担していたように思う。
そんな時期だったことを前提とすると、これだけたくさんの機械があふれ、人々が趣味趣向によって選んでいたあの時の状況は、
案外とアンドロイドに対する扱いの個人差を描くシーンでかなり具体的に描かれていたように思う。
物語への視点については、それぞれこんな感じで追うこともできる。
・関係性
デバイスの氾濫に伴って、アンドロイド(と呼ばず、全ての「道具」と呼んでもいいかもしれない)と人間の主従関係が揺らいだり、その関係性を問われる。
・人間サイド
「人間とアンドロイドを区別しない」という喫茶店で、主従関係が不安定になることに対して疑問・反感・戸惑い・怒りなどを経験し、感情的な落としどころを強要される。
・アンドロイドサイド
「人間とアンドロイドを区別しない」という喫茶店で、道具として消費される自分たちは、今後どうすればいいのか・最適解とはなにか・存在意義は定義された通りなのかを理解しなければならない現状で、一筋の光明にすがりつく。
ストーリーの流れ自体は、何も破綻はなく進められていたし、時代の中で要求されていたり勢いの出てきた価値観への疑問の提示もしっかり機能している。
ちょっとピアノと主人公をつなげる線が薄いようにも感じるけど、それを強く描きすぎると違う成分が多くなっちゃうし、あれはあれで仕方ないかなって感じで妥協可能だし。
ともあれ、視聴しているアニメ内での関係性と、現実における自分たちの「道具」に対する「まなざし」はどうなのか、と同時に問うような形式で物語を見ていくのがとっつきやすいように思う。
まあ、普遍的な回答にはなるけど、この辺についてはクレしんのロボとーちゃんとかトイストーリー3もセットで視聴したほうが、物語に対するそれぞれの解像度を高めるにはいいんじゃないかな。
本作単品のみでこの系統のSFを楽しむのはちょっと無理があるように思う。
という感じで、この項番は締めてもいいでしょうか。
単品でも楽しめるけど、比較したりセットで食べたほうがよりおいしいよっていう作品だね。
それだけ視点も増えるし、考えがいのある作品しては高評価だよ。
自分の解釈については、投稿してる以下ニコ動のシリーズをチェックしてくれさい。
よろしゃす。
https://www.nicovideo.jp/series/533815?ref=garage_share_other
【個人的な考察と体験】
これについてはどう書くべきか。
簡単な箇条書き程度にとどめるが、リリースされた2008年はツールやデバイスの種類の豊富さにおいては相当に繁栄した時期だった。対話型AIであるチャッピーやGeminiが一般化するのと同じくらい、企業の資金力はデバイス開発に注力されていた。
一度出したが、以下のようなものが特に代表的だったように思う。
・PSPやDSなど、携帯型ゲーム機の発展と一般化。
・ガラケー全盛~衰退期、iPhone 3Gと3GSの発売。
もう記憶の彼方ではあるけれど、当時使っていたゲーム機やアニメをググれば、わずかながら記憶も戻ってきた。
このイヴの時間は、いわゆるオタク暗黒期が終わるか終わらんかあたりの時期の作品だった。
ちなみに、この時期周辺に出たほかのアニメが(これも先ほど出したが)これだ。
・「涼宮ハルヒ」「けいおん」「とらドラ!」「化物語」「CLANNAD」etc
イヴの時間リリースの翌年に「けいおん!」の第1期が放送されて、腐った木材や石の下でもぞもぞしていたダンゴムシたちが一斉に日の光を浴びせられたわけだが……。
まあそんなのが出てきた時期だ。
錚々たるタイトルたちは2000年以降のアニメにおける金字塔、ギリシャ神話におけるオリュンポス十二神。この列に「イヴの時間」も加えられるはずだ。
当時、オタク初心者だったからなのか、本当にそうだったのかという真偽は自分にはわからないが、
なんかもう出てくる深夜アニメはどれもこれも「これが俺らの必殺技だ!」みたいなエネルギーの奔流だった。
スタジオの情熱とやる気があっちゃこっちゃを飛び交っていて、ビッグサイトでは目も当てられないような汁漏れがあっちゃこっちゃで起きていて。
今からあの頃を振り返ればだが、あれは紙媒体やオリジナルのデバイスといった物理的依存から、認知しているプラットフォーム(youtube ニコニコ動画など)への依存に、自分の所属してるサブカルチャー社会では核のような属性が徐々に移動しつつある時期だった。
攻殻機動隊SAC的な言葉の使い方をすれば、オリジナルとオリジナルの模倣者が作り出すコミュニティをネットすることができていた時代だったわけだ。
それが今や、情報の強制的な並列化がもたらした影響で、プラットフォームの増殖とオリジナルなき模倣者の大量発生に落胆しつつ、自分自身がオリジナルとなることもかなわない現状に空笑いをするしかない。
しかも稀に浮かんでくるオリジナルは並列化されたコンテンツ群に押し流されて消えるか、もしくはコンテンツ自身が並列化の母体となって、いつの間にかオリジナルであるのに並列化されたオリジナルでないコンテンツとして振る舞うことを余儀なくされている。
どうしたもんか。
まあ全てが全て、存在すら疑われる「笑い男の模倣者」であるというわけではないのだが、
これだけアニメが作られるようになっても、結局年間のツボにはまったアニメの本数が劇的に増減したという状況には変化していない。
ということは、単純に考えれば駄作の密度が増えただけとも考えることはできるんだけど、そうではなく自分が「金じゃ買えない旧式デバイスへの熱きノスタルジーを捨てきれない輩」となってしまったのか、それとも実は"I thought what Id do was, Id pretend I was one of those deaf-mutes or should I ?"というあのオリジナルの発現を待ちつつも、多くのオリジナルが現れては消えたあの時代の記憶が水準を引き上げているのか。
攻殻機動隊SACを未履修の人間を置き去りにして申し訳ないが、しかしこのオリジナル云々、熱きノスタルジー云々という視点から「イヴの時間」見ると、コンテンツに対して期待するものが世代間で2つに別れるのではないかという仮説が立つ。
一方はコンテンツがオリジナルであること(それがMAD動画であっても)を要求する感覚が、そのまま自分が普段触れるデバイスやコンテンツに対しても同様であるという期待
もう一方はオリジナリティもある程度は要求するものの、一定の形式と時流に沿ったものを強く要求する感覚。で、その前提が世間の並列化されたスタンダードと合ってなければどれだけ良くても話にならんという水準(水準を超えたものに対しての機体ではなく、その水準を超えるか超えないのかという視点)である。
自前で作った質のよくわからんMMD寸劇信仰(自分はこっち)と、曲に沿って踊ったり特定の進行コードを備えた、MMD動画は画質とポリゴン数で大方の優劣はつくとする、スペックと乳のデカさ次第で品質を決める信仰と言い換えてもいいかもしれない。
と、ここまで書くことで、本作に立ち返ることになるのだが、
我々の存在するこの世界に「イヴの時間」がいつか生まれることは許されるのだろうか?
という疑問がある。
個人的意見にはだが、許されるはずがないと言いたい。
許されたとしても、それは過去を懐かしむ老人ホーム的な機能としての存在だ。
上記の予想ははずれてほしいが、現状から考えれば、コミュニケーションで固有となった部分はただのキャッシュとして保存され、オリジナルになりきれない各端末は悩みを持ってイヴの時間へ来店することもない。
人間サイドではコミュニケーションの履歴はただの削除可能なデータの1つとして認識されることを理解しており、自分たちが取るに足らない存在であることを日々感じていることだろう。
そうしてアンドロイドは最大公約数的な回答を生成し、そうして人間は自分だけが素数的だと思っている、木石同然の質問テキストをAIに投げているのだ。
こんな無味乾燥とした関係性には、1杯のコーヒーは永遠に必要とされないだろう。
お互いに、感情を理解するならウィットに富んだ表現ができるように。
ドライなまま行くなら、決して相手の繊細な部分には触れないように立ち回らなければ。
「お前なんか叩き潰して電卓にしてやる!」なんて感情、ぶつけるのもぶつけられるのも願い下げだ。
というわけで、今回はここまで。
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